雑記ブログ

ブラインドタッチの代わりにフリック入力に移行する。

昔、ブラインドタッチをブライアンタッチだと勘違いしていた時期がある。

ナリタブライアンの高松宮杯(今は高松宮記念)出走を何だか悲しい気持ちで受け止めていた過去があるからこその勘違いなのかもしれない、、、

とまあそれは冗談としても、ホントに昔はブライアンタッチだと思ってました。

ナリタブライアンのような圧倒的な力を持った人だけがなし得る超絶怒濤のタイピング技術。

それを人はブライアンタッチと呼ぶのだ。

くらいには思ってたな。

懐かしい。

まあパソコン自体にあまり触れてなかった頃の痛い記憶なので優しくスルーしてください。

今現在もブラインドタッチができない

時は経ち、今では仕事でも自宅でもバンバンパソコンを使うようになった。

ダガシカシ。

未だにブラインドタッチ(タッチタイピング?)は出来ないまま今に至る。

何度か習得しようと試みたことはある。

しかし、どうしても下を見ちゃう自分を止められないのだ。

「本気でやる気がないからだ」

確かにそう言われたらそうとしか言えない。

ブラインドタッチが一週間後にできなければ死ぬと決まったら恐らく死に物狂いでやるだろうし、そこまでいかなくても仕事で必須となって出来なきゃクビくらいでも人間はやるもんだと思う。

それができないということは俺が追い込まれてないことを意味する。

つまりそこまで大事な事柄ではないということだ。

本当に必要なことならどうあってもやる

今回はブラインドタッチの話だが、これは他の何にでも当てはまる。

例えば台詞を覚えないという人。

それは稽古で覚えてなくても自分にとって最悪の事態にはならないと思っているからだ。

これが明日からもう本番となったらどうだろう。

よっぽどの阿呆じゃなければたとえ完璧じゃなくても何とかして覚えるはずだ。

要は意識の問題。

この場合でいうなら、その人は稽古は台詞を覚えなくてもなんとかなる場だと捉えてるのだ。

極論だとか段階があるとか色々意見はあると思うが、稽古で台詞が早く入っていることの有用性は言うまでもない。

話がそれた上に盛大なブーメランに心が痛むので話を戻そう。

詰まるところ、やりたいやりたいと言いながら実のところブラインドタッチができなくても俺は困らないと思っているということだ。

これは困った事態。

困らないことが困る。

おかしな話だ。

できる人の意見を聞く

できないことを頑張ってやろうとしてやっぱりできなくて凹む柔らか地獄ループは結構な人が体験したことはあるだろう。

自分のブラインドタッチ問題は正に今現在ループ真っ只中だ。

ブラインドタッチなんか余裕だぜ!な連れにコツはないかと尋ねると

「寿司を打つのです」

と言う。

ならばと寿司を打ってみる。

まあまあイケルぞ!

さらに寿司を打つ。

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

これってキーボードを見たらダメなんだよな?

見ながらそこそこイケてもブラインドタッチマンにはなれなくね?

試しに画面だけを見て寿司を打つ。

・・・・・・・・・・・

聞いたこともねー名前になんぞ!!!

俺はまだ寿司を打つレベルにすらないようだ。

ちなみにGoogle先生にも尋ね、数多くのブログなどを読み漁り実践してみたが、ホームポジションすら覚えられていない。

それが今の俺だ。

今一度大事なことを考えてみる

この「何かができない」という事態に陥るとそのできないことばかりに目がいってしまうが、ここで今一度原点に立ち返る。

なぜブラインドタッチが必要なのか?

そう。PCでモノを書くためだ。

このブログを含め、いくつかPCで更新する文章がある現状。

元々脚本も手書きでずっと書いていたこともあり、文章をキーボードで打つ行為そのものに未だに慣れてないまま。

ブラインドタッチが出来れば手書きのイメージでモノが書けるのではないかと考えてたのがスタート。

ということは?

手書き以外の手段でスラスラと文字入力ができればいいということ。

ならば普段から使い慣れているスマホでのフリック入力ならば速度を落とさず代替できるのでは?

そう思い立って今このブログを早速スマホで書いている。

・・・・・・・

イケソウナキガスルー!

全体の文章を把握しづらいとか細かい不便はありそうだけど、PCキーボードで打つよりずっと手書き感覚で言葉が出てくる。

ある程度スマホで書いてしまって、手直しはPCでいく形。

俺にはこれかもしれない。

よーし。

ブライアンフリックと呼ばれる程の圧倒的フリックを目指して頑張るぞ!